同じ所に長くいられない病。

 

私は、同じ場所に長くい続けることができない。

問題は場所なのかコミュニティなのか、自分でも明確にはわからないが、同じ仕事だったり、同じ町だったり国だったりに2年以上いると、体が新しい環境を求めるようになる。

同じ場所に長くいると、わくわくを感じられなくなり、何を目指してるのかわからなくなり、しんどくなってくる。

 

この性質を持って悩ましいのは、長く深い人間関係を築きにくいということ、一つのことを突き詰め続けることが難しいということ。

つまり、私は何をするにも中途半端になってしまうのだ。

「飽きっぽい」という性質も確かに自分にはあるが、それとこれとはまた少し違うような気もする。

 

この性質は恐らく子供の頃からあり、学生時代は結構生きることがしんどかった。

環境を変えることはなかなかできなかった(少なくとも自分はそう思っていた)し、ずっと同じコミュニティに強制的に属することになる。

そこそこ友達はいたが、昔から一匹狼のような感じで、転入生が来ると真っ先に話しかけていたことを覚えている。

 

人間関係については、数ヶ月、数年置きに移動する人生なので、その場その場で新しく人間関係を築くことになり、「ずっと仲のいい友達」がいないこともたまに「どうなんだろう」とか感じたりする。

SNSもあまり見なくなったので、過去に親しかった友人達が今どこで何をしているのか、ほとんど把握していない。

学生時代の友達とは、LINEが乗っ取られてアカウントをつくりなおした時から、もう連絡手段もなくなってしまった(人づてで連絡を取ることは可能ではあるが)。

過去の地で出会った友人と会う機会があれば久々の再会をとても嬉しく感じるし、思い出話に花を咲かせるが、用がないのにわざわざ連絡をしようとはあまり思わない。

距離的に会えなかったりすることもあるが、正直なところ「必要性を感じない」みたいな気持ちがあるのだろう。

その時代その時代の自分の関心ごとは異なっていて、その時その時で話の合う人とつるんでいるので、今の私が過去の私と親しかった友人たちと話しても、ほとんど思い出話にしかならないのだと思う。

そして、また新しい場所で新しい友人との出会いを求めてしまう。

 

常に新しい生活・体験を追い求めてしまう性分は、30歳を超えた今もおさまることはない。

2年同棲していた彼氏とも、彼との平和で穏やかな変わらない日常をこれ以上続けていくことがしんどくなり、別れた。

 

同じ所に長く留まれないこの性質を、「手の中にある幸せ」に満足できない人としての欠陥と捉えて治すべきなのか、それともこれが自分の尊重すべき価値観なのか、まだ計りかねている。

が、治そうと思って治せるものでもないし、無理してもやはりどこかで反動がきて、そもそも無理なようなので、一旦今は後者と捉えてやりたいようにやろうと決めている。

 

人生一度きりだし、禅の考え方で言うと、自分の人生も起こることも何もかも、流れる川のような一時のものであり、夢でしかない。

そんな大したものじゃない。

そう思って、流れるままに、本能に従って生きていようと思う。

 

人付き合いが苦手すぎる。

 

私はコンプレックスがたくさんあるが、一番のコンプレックスは人間関係を築くことが苦手、ということかもしれない。

 

私は昔から少しずれた子だったから、人付き合いが苦手だなという意識はずっとあった。

学生でなくなって大人になってからは、気兼ねなく1人で生きていった方が幸せなんじゃないか、結婚も別にする必要ないし、と思うようになった。

海外旅行も、人と行くより、1人で行って現地での出会いを楽しむ方が楽しいし、人といると気を遣ってしまって疲れるので、1人旅が好きだ。

まぁどの時期を振り返っても友達は一応いたし、その時その時で遊べる友達が少しいれば十分。

人が嫌いなわけではなくて、人と浅く広い付き合いをするのは好き。

新しい出会いの多い日常はとても楽しくて、充実していた。

 

ただ、コロナが流行り出した時期からリモートで家に引きこもって仕事をするようになり、新しい人との出会いもなくなった。

友人と直接会って話すのは好きだがチャットで雑談するのは苦手だし、「どうしてる?」とか「オンライン飲みしない?」とか自分は言い出すようなタイプではないし、人との接点が徐々に薄れていった。

そして、私は深い仲の友人がいないことに改めて気づいてしまった。

きっと、助けを求めれば手を差し伸べてくれるような友人はきっとたくさんいるが、「特に仲のいい友人」が誰なのかわからない。

 

もともと、学生の頃から「自分と仲良くしてくれる人と仲良くする」スタンスだった。

相手が本当は嫌なんじゃないかと遠慮してしまったりして、いつも誘ってもらうのを待っていた。

その場その場で友達はいたが、数年ごとに国を跨いで点々としてきた私は学生時代の友人とも疎遠になり、その後各地で親しくしていた友人とも特に用事がないと連絡を取ることもほとんどないまま、今に至る。

たまに連絡をくれる人もいたが、どうしても受け身になってしまい、物理的に離れてしまうと関係を維持するのは難しい。

 

そんな状態で、コロナで新しい人との出会いも絶たれて仕事のことだけを考える生活に慣れ切ってしまい、気づいたら鬱になっていた。

1人が好きなので、引きこもれる生活は自分に合ってると思っていたが、意外とダメだったようだ。

 

 

鬱になって何もやる気が起きなくて、何で生きてるんだろう、と考えてた時に、幸せってなんだろうの答えが書かれてそうな本を読んだりした。

人の幸福度と一番相関性があるのは人間関係への満足度だ、という研究結果があちこちで発表されてるというのを読んで、そりゃそうか、と思いつつ、軽く絶望したのを覚えている。

私は1人でも楽しく生きていける、と思っていたのに、結局人間というのは社会的生き物で、人との関わりの中からしか幸せや感動といった大きく心動かされる感情を生み出すことはできないんだ、と。

 

余談だが、私は台湾で、占い横丁の占い師から「あなたは一生孤独」「人と深く関わるのは諦めなさい」みたいなことを言われたことがある。

これが呪いとなって自分でそう思い込んでしまっているのか、本当にそうなのかわからないが、それから5年以上経った今考えても、自分はそうなんだろうなぁという気がしてしまっている。

 

ただ、そこまで絶望的な気持ちでいるわけでもない。

苦手なことはどうしようもないし、メンタルが不安定な時につらくなることはあるが、本当に大事なことを見失わず、自分を気にかけてくれている周りの人への感謝の気持ちを忘れず、しっかり、自分が好きなこと・やりたいことのアンテナを取り戻して、ちゃんと楽しく生きていく。

そんなつもりで、今を生きている。

 

私はもしかしたら一生、人と深く関わり続けるような人間関係は築けないのかもしれない。

一生孤独なのかもしれない。

それは、家族や友人に囲まれながら生きる人生と比べるときっとつまらないものなんだろうなと思う。

 

でも、どっちにも良し悪しはあるものだし、私の人生がどうなろうと私の人生でしかない。

人生は、手持ちのカードでどれだけ楽しく生きられるかのゲームみたいなもの。

3割を潔く諦めながら、残り7割で楽しく生きよう。

 

という気持ち。(これがまたその時のメンタル状態によってそう割り切れない気持ちの時もあるので簡単ではないのだが)

 

コンプレックスが多い私の、心のノート。

 

私はコンプレックスの多い人間だと思う。

もっとも、他の人がどんなコンプレックスを抱えて生きているかを知る術はあまりないから、相対的に多いのかどうかはわからないが。

コンプレックスによって苦しむことも多いけれど、それでも未来に希望を持って、また落ちて、また上がってを繰り返しながら生きている。

 

30歳になってからのここ1年は、考えることや悩むことも増え、コロナの流行とも重なり、特にしんどい時期を過ごしてきた。

 

いろいろとあり仕事を休職することになり、時間ができたと同時に自分を見つめ直す必要性が出てきたので、思考の整理をするため、自分のコンプレックスや人にはなかなか話しづらい体験談や思考などを書こうと思った。

あまり人に話すような話でもないし、頭の中でも全くまとまっていないことばかりで取り留めのない文章になりそうだが、気の向いたことから書いていこうと思う。