人付き合いが苦手すぎる。

 

私はコンプレックスがたくさんあるが、一番のコンプレックスは人間関係を築くことが苦手、ということかもしれない。

 

私は昔から少しずれた子だったから、人付き合いが苦手だなという意識はずっとあった。

学生でなくなって大人になってからは、気兼ねなく1人で生きていった方が幸せなんじゃないか、結婚も別にする必要ないし、と思うようになった。

海外旅行も、人と行くより、1人で行って現地での出会いを楽しむ方が楽しいし、人といると気を遣ってしまって疲れるので、1人旅が好きだ。

まぁどの時期を振り返っても友達は一応いたし、その時その時で遊べる友達が少しいれば十分。

人が嫌いなわけではなくて、人と浅く広い付き合いをするのは好き。

新しい出会いの多い日常はとても楽しくて、充実していた。

 

ただ、コロナが流行り出した時期からリモートで家に引きこもって仕事をするようになり、新しい人との出会いもなくなった。

友人と直接会って話すのは好きだがチャットで雑談するのは苦手だし、「どうしてる?」とか「オンライン飲みしない?」とか自分は言い出すようなタイプではないし、人との接点が徐々に薄れていった。

そして、私は深い仲の友人がいないことに改めて気づいてしまった。

きっと、助けを求めれば手を差し伸べてくれるような友人はきっとたくさんいるが、「特に仲のいい友人」が誰なのかわからない。

 

もともと、学生の頃から「自分と仲良くしてくれる人と仲良くする」スタンスだった。

相手が本当は嫌なんじゃないかと遠慮してしまったりして、いつも誘ってもらうのを待っていた。

その場その場で友達はいたが、数年ごとに国を跨いで点々としてきた私は学生時代の友人とも疎遠になり、その後各地で親しくしていた友人とも特に用事がないと連絡を取ることもほとんどないまま、今に至る。

たまに連絡をくれる人もいたが、どうしても受け身になってしまい、物理的に離れてしまうと関係を維持するのは難しい。

 

そんな状態で、コロナで新しい人との出会いも絶たれて仕事のことだけを考える生活に慣れ切ってしまい、気づいたら鬱になっていた。

1人が好きなので、引きこもれる生活は自分に合ってると思っていたが、意外とダメだったようだ。

 

 

鬱になって何もやる気が起きなくて、何で生きてるんだろう、と考えてた時に、幸せってなんだろうの答えが書かれてそうな本を読んだりした。

人の幸福度と一番相関性があるのは人間関係への満足度だ、という研究結果があちこちで発表されてるというのを読んで、そりゃそうか、と思いつつ、軽く絶望したのを覚えている。

私は1人でも楽しく生きていける、と思っていたのに、結局人間というのは社会的生き物で、人との関わりの中からしか幸せや感動といった大きく心動かされる感情を生み出すことはできないんだ、と。

 

余談だが、私は台湾で、占い横丁の占い師から「あなたは一生孤独」「人と深く関わるのは諦めなさい」みたいなことを言われたことがある。

これが呪いとなって自分でそう思い込んでしまっているのか、本当にそうなのかわからないが、それから5年以上経った今考えても、自分はそうなんだろうなぁという気がしてしまっている。

 

ただ、そこまで絶望的な気持ちでいるわけでもない。

苦手なことはどうしようもないし、メンタルが不安定な時につらくなることはあるが、本当に大事なことを見失わず、自分を気にかけてくれている周りの人への感謝の気持ちを忘れず、しっかり、自分が好きなこと・やりたいことのアンテナを取り戻して、ちゃんと楽しく生きていく。

そんなつもりで、今を生きている。

 

私はもしかしたら一生、人と深く関わり続けるような人間関係は築けないのかもしれない。

一生孤独なのかもしれない。

それは、家族や友人に囲まれながら生きる人生と比べるときっとつまらないものなんだろうなと思う。

 

でも、どっちにも良し悪しはあるものだし、私の人生がどうなろうと私の人生でしかない。

人生は、手持ちのカードでどれだけ楽しく生きられるかのゲームみたいなもの。

3割を潔く諦めながら、残り7割で楽しく生きよう。

 

という気持ち。(これがまたその時のメンタル状態によってそう割り切れない気持ちの時もあるので簡単ではないのだが)